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Let me talk about Eric Dolphy (2) - エリック・ドルフィーが切り開いたもの

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「Let me talk about Eric Dolphy (1) - エリック・ドルフィーの死とモノガタリ」の続きです。

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この記事では、彼が遺したものについて書いていきます。

 

アウトは生きて継がれるか

 エリック・ドルフィーは丁度52年前に亡くなりましたが、それは彼の音楽が52年前に死んだこととイコールではありません。音楽家の死後に音楽が認知され永遠の名作と評価されることもあれば、音楽家が生きている間にその音楽が何にも影響を及ぼさないまま忘れ去られることもあります。つまり、音楽家の生死と音楽の生死の間に必ずしも相関はありません。では、果たしてエリック・ドルフィーの音楽は今も生きているのでしょうか? このことに答えるため、彼の音楽は一体何だったのかという切り口から考察を始めます。語りを進めるうちに、彼の音楽が生きる事と彼の後を継ぐことが密接に繋がっているという考えを打ち出していきます。

 なお、ここでは「音楽が生きている」ということを「現在も聞き続けられている」というレベルではなく、その音楽が「現在の音楽に影響を与え、あるいは何らかの形で現在の音楽に取り込まれ、あるいはその音楽が目標としたものが現在の音楽の目標になっている」というレベルで定義します。この、リスナーよりプレイヤー側を重視した定義にもまたドルフィーの影響があるのですが、それはおいおい明らかになることでしょう。

 

 

“アウト”という宇宙

 ドルフィーの頻出キーワードに”アウト”というものがあります。『Outward Bound』しかり『Out There』しかり『Out To Lunch』しかり、彼は"影"から逃げて外へ外へ行こうとしていました。さてこのとき、アウトと当然対比すべき”イン”とは何でしょうか? おそらくそれは、行き詰った現実、行き詰った音楽界、これまでの伝統、チャーリー・パーカー(Charlie Parker)による祝福すべき呪い。つまるところ、バップに代表される音楽世界と言えます。しかしそう考えると少し奇妙です。歴史的にみると、バップと概念的に対称位置にあるのはオーネット・コールマンが発端となったフリジャズと言うべきでしょう。すると、”イン”と”フリー”の間に対比構造ができて、”アウト”の入り込む場所が無いように思えます。もし一つだけあるとすればそれは、”イン”と”フリー”の境界線上です。

 エリック・ドルフィーはインとフリーの境界線上で綱渡りをしていました。バップのコード進行に従いつつ、その枠をギリギリ超えない範囲でいかに自由な演奏できるかを常に意識していたのです。いえ、綱渡りというのは正確ではありません。ドルフィーの地盤はもっとしっかりしています。彼の演奏は確信的で、迷いが一切ありません。誰しも境界”線”だと思っていた頼りないものは、実は一つの宇宙を内包していました。それがドルフィーの地盤たる”アウト”だったのです。

 彼はよく異星人と呼ばれますが、それも宜なるかなと思います*1。”イン”の世界が西洋調性に代表される地球人の世界だったように、”アウト”も我々の知らない一つの世界・宇宙だったのです。まるで宇宙人の奏でる音楽のように、"アウト"には”イン”の世界と異なる理があり、異なる深みがあります。

 

 ドルフィーの仕事を"アウト"開拓の側面から見ていきましょう。一サックス吹きとしては『At The Five Spot』で一つの極致に達し、晩年ミンガスとの共演や『Last Date』でまた異なる極致を見せました。ジャック・クックの言葉を改変すれば、「もしドルフィーが本当のリーダーにならなければ、彼のインプロヴァイズでこれ以上"アウト"を開拓できるとは思えない」のです。しかし”アウト”の世界はもっと豊かで、彼はアドリブとは別の方面から開拓を試みています。別の方面とはコンポジション、作曲です。『Out To Lunch』を聴いてください。あれは異常なドルフィーの作品群の中でも一つだけ特異点になっています。それまでインプロヴァイザーとして演奏の苛烈さにおいて評価されていた彼が、初めてコンポジションの世界でその心の内を表現してみせたのです*2。『Out To Lunch』は”アウト”開拓の新たな側面を見せた作品であり、もしエリック・ドルフィーが1964年6月29日に死なずアメリカで正しく評価されていたらという大胆なifを考えれば、「コンポジションに力を入れ始めたエリック・ドルフィー中期の大傑作」となるはずの作品です*3

 けれども、彼は1964年に死んでしまいます。彼は死んで、”アウト”開拓は止まってしまいました。あんなに豊かな世界を見せていたのに、誰も彼に追随できなかったのです。

 

1964年6月29日以降におけるアウト開拓の様相

 先ほど”アウト”開拓は終わったと安易に書きましたが、これはもう少し突っ込んで考えなければいけない問題です。現在における”アウト”開拓の様相を見ることでエリック・ドルフィーの音楽が生きているかが見えています。

 まず注意しておきたいのは、既成概念・体制に対する反動として捉えた広義のアウトはジャズ史中そこかしこで起こっている、ということです。パーカーたちがビバップを始めたのはスウィングジャズの過度な洗練に対する反動だし、マイルスがモードジャズを始めたのはハードバップのマンネリ化に対する反動です。この広義の意味でのアウト開拓は現在でも続いているはずです。これは音楽一般で起こる「概念の萌芽→確立/発展→反動/概念破壊→新たな概念」をジャズで辿っているにすぎません。

 ドルフィーの示した”アウト”が今どうなっているかという話をしましょう。そのために、自身の境界線としてアウトを形作るインの世界の今について考察します。現在のインの世界は「モーダル・コーダル」と呼ばれる世界になっています。これはハードバップのようなコードの世界とマイルスが始めたモードの世界をうまく融合させた世界観です。元々モードジャズは広義のアウト(ハードバップというインに対する反動)として始まったことを踏まえると、インの世界が近くにあるアウトの世界を理論化し取り込んでいく構造が見えてきます。「外れていてもかっこよかったら使ってしまえ」というわけですね。感性的に使われ、次第に理論化し、定型化し、最後には完全にインに入るのです。この長い前置きから何を引き出したいかというと、今のインの世界たる「モーダル・コーダル」にバップへの反動とフリーの消極的拒否から生まれたドルフィーの”アウト”感覚が取り込まれていないことを踏まえれば*4、現在までに誰かが”アウト”を開拓してインの方に近づけていったか、あるいはインを拡張して”アウト”まで近づけたということが起こっていないという風に考えられるのです。これはドルフィーの”アウト”開拓を継いだものがいない有力な証拠になっています。実際、コンテンポラリージャズなど最近のジャズには調性から外れたアウト感のある音楽が沢山ありますが、そこでのアウトとは広義のアウト(またはドルフィー以外のところに起源があるアウト)であり、ドルフィーが我々に教えてくれた”アウト”の世界とはまた違うように思えます。

 それでは、エリック・ドルフィーの音楽は死んでいるのでしょうか?彼の音楽は聞き継がれてこそいますが、後世に何らの影響を及ぼさず、ただの特異点として次第に影へと消えていく運命にあるのでしょうか?幸いにも(彼の運命の悲惨さを踏まえるとこれぐらいは当然の報酬なのですが)、音楽的死は免れているようです。オーネット・コールマンジョン・コルトレーンに代表される60年代フリージャズの後、70年代にロフトジャズと称されるフリーの運動が起こりますが、そこで運動した人々はドルフィーにある程度影響を受けて自分の音楽を創り出しています。ただし、彼らはあくまでフリーの人間でありフリーとしてドルフィーを受容したため”アウト”の開拓は殆どしませんでした*5。彼らもまた、ドルフィーの後継者ではないわけです。

 

魔法使いを継ぐもの

 ドルフィーの音楽はギリギリ生きているらしいことが分かりました。ただ、このままでは人工呼吸機で維持された生命と本質的に同じで、いつ死んでもおかしくはありません。音楽はリスナー(聴衆)とプレイヤー(後継者)を通して生き続けます。また、ドルフィーが『Last Date』「Miss Ann」の最後で次のように語ったことを思い出しましょう*6

When you hear music after it’s over, it’s gone in the air. You can never capture it again, so it’s pure creation.

音楽を聴いていて、それが終わったら、それは宙に消えてしまう。二度と捕らえることはできない、だからこそ、音楽は純粋な創造なんだ。

 すなわち、音楽は本来反復できないたった一度きりの不可逆的芸術なのです。ことジャズに限ると面白いことが起きて、ジャズは複製芸術の時代に生まれ育ち録音技術による反復を甚だ活用して成長してきたにもかかわらず、即興という反復しえないことを前提とした不可逆的概念をその根幹に持っています。ドルフィーの言葉はその矛盾の中で音楽家として発した「その場その場で常に全力を尽くす」という彼らしい信念の吐露であり、ある種の警句としても響きます。おそらく、ジャズと言う音楽は本質的に録音が聞き継がれるだけでは生きていけないのでしょう。誰かがライブをして、生きた音楽を届けなければいけないのです。

 だから、ドルフィーの魂が受け継がれている生きた音楽が今もし無いとしたら、それはドルフィーの音楽的死を半ば意味します(少なくともドルフィーの警句に従えばそうなります)。だとすれば、誰かが火を灯し、ドルフィーを襲った影がドルフィーの音楽さえも蝕むことを阻止せねばなりません。しかしここには、エリック・ドルフィーは進化の末端・ガラパゴス的な行き詰まりであり、その魂は影へと消えゆくことが当然なのかもしれないという危惧もあります。以下では、現代に彼の遺志を継ぐ魔法使いは生まれ得るのかということについて考えます。

 まず注意すべきは、彼の「後継者」はドルフィー特有のあの変態フレーズを吹く必要が無いことです。あのフレーズを丸々コピーした「ドルフィー派」はジャズ史上居ないことも無いのですが、すぐ歴史から顔を消しました。結局のところドルフィー以外は二流のドルフィーにしかなれないし、後継者とはそういうものではないのです。彼の後継者とはおそらく、現代のフリーとインを熟知し取り入れつつも、どちらに偏ること無く境界線上で”アウト”を開拓していく者のことを言うのだと思います。後継者は自分のスタイルを持ち、ドルフィーを超えていかなければなりません。ドルフィーがパーカーを崇拝し、やがてパーカーを超えようとしたように、です。

 恐ろしい懸念が一つあります。ドルフィーの見出した“アウト“は60年代前半という激動の時代にしか出現しえなかったのではないか、という懸念です。冷静に考えるとドルフィーの出現そのものに必然性は全くありませんが、ハードバップの限界が見えフリージャズ・モードジャズが興ったあの時代に彼が出現した必然性は多分にあります。とすると、彼の”アウト“もあの時代でしか開拓できない可能性があります。もしそうなら、彼の死から52年も経った今、”アウト”を開拓できる見込みはありません。

 あるいは、彼の後継者たる素質を持つ者は先駆者の”アウト”に手を付けず全く別の”アウト”を発見しそちらの開拓に夢中になってしまうかもしれません。これはかなり確率の高い現象であり仕方の無いことです。例えるならば、ドルフィーの後を継げるのはドルフィー星出身の異星人だけだが、宇宙には数多の星があり、地球上にいる異星人でドルフィー星出身の者の割合は天文学的に小さい、とでもなりましょうか。

 個人的な希望として、彼のポップさがインの側から受容される可能性を考えています。ドルフィー自身は1954年の時点でオーネット・コールマンと話し合い「自分たちはコマーシャルにはやっていけないことになった」らしいのですが、ドルフィーにはアウト感の割りにポップなところがあるので、そこはうまく回収できるのでないかと思うのです。勿論妄想の域を出ません。

 

『Out To Lunch』が我々に与えた視点

 ドルフィーの後継者問題について色々考えてきましたが、これ以上進むと論理的考証の皮を被るのも難しい妄想の話ばかりになってしまうのでここで区切りたいと思います。最後に述べておきたいのは『Out To Lunch』の重要性です。

 もし彼が『Out To Lunch』を発表せずにただの孤独なサックス吹きとしてその生涯を終えていたら、この文章のように後を継ぐとかどうとかでグダグダ考えることもおそらく無かったでしょう。インプロヴァイザーの後を継ぐには完全コピーしかありえず、それでは二流のオリジナルにしかなれないからです。しかし、実際は『Out To Lunch』で彼のサウンドクリエイター/作曲家としての側面が急激に上昇してきました。そして彼がサックス・バスクラ・フルートのアドリブで描いてきた世界の豊かさも一気に透けて見えてきたわけです。これは言い過ぎかもしれません。

 ともかく、彼がもうちょっと生きて”アウト”開拓をしてくれていたら”アウト”へのアクセスが格段にしやすくなったと思います。ドルフィーは1964年当時変遷期と呼べるほど深化していく最中だったので、『Out To Lunch』の次の同系統作品があったらそこで何かが見えてきたんじゃないかという気がします。現実ではその前に彼が亡くなったせいで"アウト"開拓は途上で終わり、回りまわってファンはこうも見苦しい妄想をしているわけです。

 

 

Let me talk about Eric Dolphy のおわりに

・Eric Dolphy – Miss Ann (『Last Date』1964)

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 この文章を書いている目的の一つ、そして書いたものをわざわざ彼の命日に合わせて公開する目的の一つは、ここ数年で安定してきた私的ドルフィー観を文章化することを通じ自分の中の遺留物を少しでも解消することにあります――遺留物とは要するに、彼の死に関する囚われです。彼の死後40年以上経ってから彼を知ったにも関わらず、いまだにどこか彼の死を受容できないのです。遺留物の解消が上手くいったかは分かりませんが、得られるものはありました。

 一年後また文章を書くと思うので反省点を二つ挙げておきます。まず一点目として単純な知識の不足があります。特に今回ロフトジャズやコンテンポラリージャズなど70年代以降のジャズに関する知識はほぼゼロからスタートしたので大変厳しいものがありました。今後「何がドルフィーを形成したか」を考察するにあたってはアーシージャズやクラシック、現代音楽などの知識も必要になってくるので、ゆっくりやっていこうと思います。二点目は「音楽が生きている」ことの定義です。これは結局のところ結論をどこに着地させるかで筆者の恣意性が入ってくるので論ずるには適していません。ただ、語ることは自由だし語るべきだと思ったので取り上げています。本文ではドルフィーの音楽的生死について生命維持装置付きの生より死に近いと結論付けているのですが、「彼の音楽が彼と同じく音楽的孤独に陥っている人々(=異星人、ドルフィー星出身と限らない)を元気づけているとしたら、彼の音楽は生きていることになる」という考えがこれを書いている段階で湧いてきました。言語化されていない考えにメスを入れると本当にキリがないのでここで止めておきましょう。

 

 以上で「Let me talk about Eric Dolphy」を終わりにしたいと思います。長々とお付き合いいただきありがとうございました。52年の歳月を超え、エリック・ドルフィーの魂が安らかであることを祈ります。

 

 

参考文献

植草甚一『ぼくたちにはミンガスが必要なんだ (植草甚一スクラップ・ブック)』晶文社; 新装版 (2005/1/1) 『「影との戦い」というエリック・ドルフィー論』

・ウラジミール・シモスコ, バリー・テッパーマン  (著), 間章 (翻訳)『エリック・ドルフィー晶文社 (1975/01) 清水俊彦『影からきた魔法使い』

 

 

 

 

*1:ただ、フォーマットは地球人に従っているので、地球人と異星人のハーフというのが正しいのかもしれません。これはジョークです。

*2:実際のところ彼のアドリブは作曲や構成と分かちがたく結びついており、『Out To Lunch』が生まれることには必然性があります。これはまた別の機会に譲ります。

*3:なぜなら、彼がちゃんと評価されていたならアメリカに戻って『Out To Lunch』系統の作品群を作っていた可能性が高く、それはドルフィー中期と呼ぶべきものだからです。彼の作曲気質は編曲業を多くこなしていたこと、晩年弦楽四重奏を作曲していたことからも裏付けられます。なお”中期”という表現には、ifの中でぐらいドルフィーに長く生きてほしいという僕の願望と、ドルフィー後期はTraneやAylerに従ってフリーに走るか電化するかアドリブ一本に戻るだろうという妄想が多分に含まれています。

*4:これは言い過ぎかもしれませんが、無知ゆえに判断ができません。”アウト”感覚が入ったモーダル・コーダルの曲、”アウト”感覚が入った最近のミュージシャンがいたら教えてください。

*5:ここも無知ゆえに誇張が入っているかもしれません。”アウト”を開拓したフリージャズミュージシャンがいたらぜひ教えて下さい。個人的にはスタンダードを吹いているときのアンソニー・ブラックストン(Anthony Braxton)に”アウト”の気配を感じます。

*6:「so it’s pure creation.」の部分は「Miss Ann」に収録されおらず、引用元となっているインタビューから直接引っ張ってきています。