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真実性補題

ジャズ いつか数学

僕が『流動体について』に乗れなかった理由:小沢健二の神様観の変化? (7000文字) 3/1 追記

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3/3追記 

続きの記事が出ました。あわせてお読み下さい。

c-manifold.hatenablog.com

 

 

はじめに

先日2/22に小沢健二の19年ぶりとなるシングル『流動体について』がリリースされました。筆者も大変楽しく聞いております。楽しく聞いているんですが、それはそれとして色々思うところがあります。

この記事では、僕が『流動体について』を聞いてどうしても吐き出さずにはいられなかった感想や考察を書いていきたいと思います。

B面「神秘的」はとくに書く必要も無い*1ので、もっぱらA面「流動体について」についてです。

 

始める前にいくつか注意を。

 一、この記事の読者としてはオザケンの文脈をそこそこ持ってる方を想定しています。

 二、筆者はリアルタイムでオザケンを追っていない平成生まれの世代です。

 三、自分でも心苦しいのですが、結構ボロクソ言います。不快に思われたら申し訳無いです。

以上、ご了承ください。

 

 

 

「流動体について」のサウンド:感想

 

まず、「流動体について」の歌詞以外の情報についてお話します。言いたいことはあまり無いんですが、褒めるべきところは褒めておきたいということで。

正直に言いますと、情報過多気味な、組曲みたいな編曲を最初聞いたとき、「えっ、そっち!?」と叫びそうになりました。『魔法的』のバンドverを軸にぼんやり予想していたので、言葉通り予想外の驚きがありました。

しかしながら、何回か聞くうちにチグハグな感じは薄れ、今では慣れました。個人的にこれはアリだと思います。こんなに詰め込んだのも19年待ったファンたちへのサービスとか、「みんなにもらった曲」という意識の現われだと思えば、納得できます。

めまぐるしく変わる中、ポップス性と良いメロディを確保できてるのは流石オザケンですね。録音に2ヶ月かけるだけの価値はありました。

あと、声質の変化って完全に個人の好みの問題だと思うんですが、僕は今のオザケンとしてアリだと思います。"なかったのなら" のあたり、裏声の苦しそうな透明感がたまりません。

 

というわけで、僕はサウンドについてはだいたい好意的な意見を持っています。

問題は歌詞です。

 

 

「流動体について」の歌詞:感想と考察

 

僕は大多数のファンと同じく、小沢健二というミュージシャンを「歌詞の人」だと考えています。だから今回、「流動体について」の歌詞にかなり期待していました。

サウンドに慣れて歌詞を聞けるようになったとき(サウンドが予想外すぎてしばらく歌詞まで頭が回りませんでした)、一番最初に出てきた感想は「歌詞が難解」でした。「魅力があったとしてもまだ分からないな」と。だから、歌詞を解釈することにしました。

そして、歌詞の解釈を一通り済ませた今、この記事を書くために何回も口ずさんで半ば覚えた今、残念ながら「歌詞にいまいち魅力を感じない」と思っています。違和感を覚えます。

 

自分の違和感はどこから来たのか、というのがこの記事の主題です。

 

 

1. 詰め込みすぎ、表面的な難解さ

 

「流動体について」という曲は、作詞の段階で「19年ぶりのシングルはこの曲で出す」と決めていたのかと疑うぐらい、サービスに溢れている気がします。

歌詞冒頭、<僕>*2が東京に着陸する場面は「ある光」と対比的です。中盤に出てくる<君>は「愛し愛されて生きるのさ」の<君>を想起させます。

そんなこんなで張り切りすぎたせいでしょうか*3、多すぎるぐらい多くのキーワードが4分の曲に詰め込まれました。「僕・子供たち・君」「東京・都市」「並行する世界・過去の間違い」「神・宇宙」「流動体・決意」「過去・現在・未来」など。ここまで詰め込めるのは一種の腕力だと言いたくなってきます。

 

しかし、20年ほど前のオザケンも歌詞に「詰め込む」ことは日常茶飯事でした。以下は1996年6月『ロッキンオン』で「痛快ウキウキ通り」について語ったインタビューです。(論文だったらあるまじき行為なんですが、「痛快ウキウキ通り」後の小沢健二が言うところの「薄い曲」について - こよなく何かを愛したい様から引用の又借りをしています)

「ちょっと薄い曲を作りたいんです。なんか曲の中で一つのことしか言ってないようなね。もう"痛快ウキウキ通り"とかはあれもいい・これもいいなんて言う風に、いっぱい詰め込んじゃうんですよね。今まで僕ができてることとかこれから考えてくこととかもうギュウギュウに入れてさ、どこをうたってもなんかズシってくる様な風に作ってますけど。なんかそんな曲ばっかだったら、あんまり聴きたくないですよね、なんか(p39)」

 

では、昔と今の詰め込みの違いを考えてみましょう。僕が出した答えは、詰め込みが表に見えるか、こなれているかどうかです。

「痛快ウキウキ通り」は、一聴してすっと入り込んでくるようなポップさ、流してしまいそうな軽さがあります。注意しないと深さに気づけないし、深さに気づけなくともポップスとして楽しむことができます。

一方「流動体について」の歌詞にはそのような軽さがありません*4。要所要所でポップさはありますが、基本ハードパンチ。表面に難解さが出て、違和感を引き起こしています。

『Eclectic』以降日本語を音に乗せるやり方が変わってるのを考慮しても、ちょっと詰め込みすぎじゃないでしょうか。これだけのテーマを説明するなら本来6~8分は必要な気がします。

 

まあ、難解だから悪いというのではありません。難解さにも人を惹き付ける魅力的なものとそうでないものがあります。

ここは人によって意見が分かれるところだと思います。少なくとも僕は、「流動体について」の難解さに惹きつけられませんでした。

 

以上で述べたような「詰め込みすぎ、表面的な難解さ」は、僕が新曲に魅力を感じなかった原因の一つに挙げられます。 

このあと僕は、何かを期待しながら歌詞に解釈していきました。エリック・ドルフィーに引っかかった若者のごとく「この難解さを越えれば魅力にありつけるのではないか」と思いながら、周囲の言説を漁り、歌詞を補完し、考えていきました。

結果的に、ほぼ筋の通った解釈が完成したことで難解さはいくらか軽減されました。おおよそのメッセージは「あのときは間違ったけど、それも全部決まっていて仕方ないような気がする。でも、結果が決まっているとしても良いことは為そうと思わないと始まらない。将来また間違った結果に終わる可能性もあるが、とにかく今良いことを決意しよう」だと僕は思います。

そうして次の違和感にぶち当たります。

 

 

2. <神様>観

 

さて、僕がいくら「流動体について」に解釈を通しても、ある1フレーズへの違和感は消えませんでした。歌詞の肝と言える部分です。

神の手の中にあるのなら

その時々にできることは

宇宙の中で良いことを決意するくらい

 

「神」と「宇宙」という巨大すぎる単語。これらが十分な説明なしにぶっこまれてきます。

「宇宙」は『魔法的』のオザケンの頻出ワードです。だから、その文脈でなんとなくニュアンスをつかめます。以前のオザケンなら「世界」ぐらいの言葉を使っていたんだろうなと思ったりしますが*5

そして、「神」。これがどうもおかしいのです。

ここでは歌詞の宗教性を取り上げたいわけではありません。むしろ、有名な話ですが、オザケンの歌詞にはギリギリ宗教にならないような配慮があります。

その証拠に、フリッパーズ時代から今まで「神性を持つもの」について直接言及したフレーズを全て抜粋してみます。多いようで実は6つしかありませんでした(抜けがあったら教えてください)。

 

「天気読み」

“神様を待つこの場所では"

 

天使たちのシーン

“神様を信じる強さを僕に 生きることを諦めてしまわぬように”

 

「ローラースケート・パーク」

“神様がそばに居るような時間続く”

 

「今夜はブギーバップ」

“神様がくれた甘い甘いミルク&ハニー”

 

「強い気持ち・強い愛」

"溢れる光 公園通り 新しい神様たちが パーッと華やぐ魔法をかける"

 

「ある光」

“神様はいると思った 僕のアーバン・ブルーズへの貢献”

 

ギリギリ踏みとどまってる、と思います。

今回「流動体について」でも ”神の手の中にあるのなら” とギリギリ正気でいます。

また、『魔法的』で出た他の新曲6曲を見ても、「渦を巻く宇宙の力」など危険で素敵なフレーズはあっても、何とか踏みとどまっているように見えます。

 

では、<神>の何を問題にしたいのか。

もう一度、上に挙げた6つの引用を眺めてください。とても単純な、単語の問題です。

 

正解を言うと、『犬は吠えるがキャラバンは進む』から『ある光』までずっと<神様>を扱ってきたのに、『流動体について』でいきなり<神>を扱い始めたのです。

これは単なる呼称の問題ではありません。オザケンも意識的に変えているものと思われます。

 

これを読んでる方なら、それぞれ<神様>観をお持ちのことと思います。ここでは僕の言葉を使いますが、従来の「人を優しく見守るような、信じることで初めて存在するような神様」と今回の「人の全てを決めてしまう決定論的な、何かの主体というよりシステム・構造そのもののような神」が違うのは明らかでしょう*6

この信仰の変化は一体どういうことでしょうか? オザケンはいつ<神>を見出したのでしょうか?

僕の違和感を生んだ主要因の一つとして、この<神>があるように思われます。過去とか未来を決定するシステムについて言及し人間の意思と対比構造をつくるのも、決定システムを神と呼称するのも、”らしく”ない。そう思います。

 

オザケンの常套手段として、既に書いたようにギリギリ正気の側で踏ん張ることによって逆に狂気の側を印象付けるというものがあります。「さよならなんて云えないよ(美しさ)」の ”僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも” が良い例でしょうか。この素晴らしいフレーズは、「僕は思う!」があって初めて成立するものです。

しかし今回「流動体について」のテキストだけ見ると、<神>に対する「なら」という留保からは、「過去の出来事から神というシステムがあって間違いも失敗も何もかも決めているとしか思えないけど、本当はそんなこと思いたくないんだ」という諦めや反逆の心さえ読み取れる気がします。オザケンの常套手段、コンテキストを知っておかないとこの<神>への信仰は読み取れません。

というか僕は、今回コンテキストを適用して<神>への信仰を引き出すことに違和感を覚えます。テキストだけ見てると、流動体は<神>への信仰と無関係に躍動するよう読み取れるからです。

一方で、<神>は<神様>と同じく神性をもった存在ですから、コンテキストを適用しないことにも違和感を覚えます。

 

こうして八方塞がりになりました。

「宇宙」が<神様>っぽいとか、「並行世界」を仮定して初めて<神>が出てくるなどと考えてみましたが、ダメでした。

更に解釈者を追い詰めるのが、今のオザケンの中にも<神様>は生きているということです。それは例えば、『魔法的』の中で「天使たちのシーン」を歌っていることからも分かります。また、『魔法的』で発表された他の新曲6曲のうち、「その時、愛」では音楽を信じることを歌ってますし、「フクロウの声が聞こえる」では直接言及こそしていないけれど<神様>がいるような世界のことを歌っています。

新曲7曲の内、神性について直接言及しているのは<神>について語った「流動体について」だけです。しかし、他の6曲では一切<神>が出ておらず、ただ<神様>をほのめかしていきます。

この状況、とても気持ち悪いです。

 

また、<神様>と<神>の違いは曲のメッセージにも影響していきます。

 

 

3. 曲のメッセージ

 

以前のオザケンのメッセージの中には、「さよならなんて云えないよ」に代表される「いつか終わる一瞬、青春の中やっていこう」みたいなものがありました。
これと「流動体について」のメッセージ「全部決まっているかもしれないけどやっていこう」はどう違うのでしょうか。

まず、過去に対する取り組み方が違います。以前なら「失敗したけど、間違ってなんかない、本当の方向へ進んでいた」と言いたげでしたが、今回<神>を導入することで「間違ってた! あのときもし……でも、全部決まったことのような気もするなぁ」という感じになっています。後悔した上に、言い訳までします(それを言うなら以前は反省してないと言うべきですかね)。
未来への取り組みも違います。以前は明確な終わりの予兆があったのに対し、今回は決まっているという予兆だけで、その終わり方までは分かりません。
一致しているのは現在について。本当の方向へ向けて進んでいこう、ということだけです。

 

このメッセージ性の変化も、違和感の一つでしょうか。
<神様>が生きていることからすると、むしろ特異なのは<神>について語った「流動体について」の方なのです。
でも、その「流動体について」を19年ぶりのシングルのA面に持ってきたことに関しては、穿った見方をしたくなります。以前のオザケンの文脈から判断すると、新曲7曲の中で一番本質に近いのは「フクロウの声が聞こえる」のはずなので。何かが変わったんでしょうか?

でもでも、hihumiyo.netで2/23に出した文章に「要するに前のシングルからあまり変わってないということでは」というものがあり、「流動体について」を特異とみなす上の考えにはどこか綻びが……。


えー、結局<神>と<神様>については問題提起だけで解決に至ることができませんでした。「<神>はリテラルな意味でしか使ってない、<神様>の別の側面ではない」ということなんでしょうか。もうよく分かりません。誰か僕の解釈を変えてください。

 

 

4. 言葉の力


以上、魅力を感じない事に対して、感情を論理で理由付ける体裁で割と分析的に書いてきました。
最後は究極に感情的でシンプルな話です。というか、全てはここに落ち着くのかもしれません。難しくても意味不明でも解釈不能でも、魅力的なものは魅力的ですから。

 

僕は「流動体について」から、言葉の力を感じませんでした。

 

ちょうど「流動体について」の歌詞に ”意思は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく”というのがあるので、皮肉みたいになるんですが。

局所的に良いと思うフレーズはあります。 “躍動する流動体” とか ”無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない” とか。
でも、全体を見たとき、聴いたときに感じるところが余り無いのです。瞬間と永遠の対比にしても、<神>を出すならもっと時間と説明が必要なんじゃないかという気がします。<神>と<宇宙>までぶっ飛とばすことに説得力を感じません。

 

 

シングル『流動体について』の総評・感想

 

曲の判断基準として、人に勧めたくなるかがあると思います。
僕は『流動体について』というシングルを、オザケンを知らない人に勧めようとは思いません*7。A面「流動体について」については長々と述べたとおりです。B面「神秘的」は良いけれど、勧める必要性は無いかなと思います。それよりは『犬』とか『LIFE』聴いたほうがいいよ、と言いたい。 

ファンの期待に応えた上で初心者への配慮を求めるのは、それこそ詰め込みすぎかもしれません。ただ、自分がこういうことを考えるのは、自分がうまくこの曲に乗れなかったの原因の一つに「初心者への配慮」の不足もあるだろうと分析しているからです。

ボーっと、声を楽器として認識している状態で聴くと楽しいんですけどね。でも、それってオザケンの聴き方じゃないんですよね……。

 

 

おわりに

 

誰かと議論する前、オザケンのMステの出演前の、広義の第一印象の記録としてこれを書きました。これからまた印象も変わっていくと思います。

オザケン警察の方々、ぶっ叩いてくれてかまいません。解釈に蓋然的な誤りがあれば指摘してください。歌詞の良さを言語化できれば是非教えてください。あと<神>と<神様>の解釈も是非教えてください。
音楽は結局、楽しめたもの勝ちですから。

 

「流動体について」の歌詞について割と酷く書きましたが、『魔法的』の新曲のうち「フクロウの声が聞こえる」と「飛行する君と僕のために」はかなり良いと思います。音楽として良いのと同時に、言葉の力を感じます。オザケンの才能はまだ枯れてません。早くアルバム出してこの2曲をいい感じの位置に置いてください。
ただ2ヶ月の録音で『流動体について』の2曲しか出してないので、アルバムが出るとしたら相当先のはずです。

なんか、またすぅっと消えてしまう気がしてきました。
でも少なくとも今この瞬間、彼は新しい方向に進んでいます。それが本当に嬉しいです。

 

 

2/25 追記

 

Mステを見て、News Zeroを見て、友人と議論した結果、『流動体について』の印象が変わりつつあるので、それをメモしておきます。

 

まず、<神>と<神様>について。友人の解釈により解決法の一つが見えました。本人が文章にしてまとめるかもしれないため大事な過程は省き結果だけ言うと、「陽に書かれてないが<神様>は元々<神>的な要素を含んでいた」というものです。独特だけれど中々説得力のある議論だったので、「人を優しく見守るような、信じることで初めて存在するような神様」という自分の<神様>観を一から構築しなおす必要を感じました。友人の意見を参考にしつつ、フリッパーズ時代からやっていきたいと思います。

 

次に、"言葉の力"云々に関して。今、かなり自分の中で揺れています。

局所的な話をすると、個々のフレーズが持つインパクトに対する評価が2/23の執筆時から少しずつ変わっています。

全体的なメッセージの話をすると、そもそも前提として「今回のオザケンはある意味分かりやすくなった」ということがあります。これは逆説的な表現ですが、実際に以前なら裏に丁寧に隠していたものを今回表にさらけ出しているだけに見えます。そして"分かりにくいもの"の存在自体が変わらないのなら、むしろ表に"分かりにくいもの"があったほうが全体としてはある意味分かりやすい、と。エリック・ドルフィーのごとく。

この前提に基づくと、「流動体について」については「言いたいことを直接表現するのは芸術家のやり方ではない」という立場と「言いたいことを書いてもいいという今のオザケンの気づきなんだ」(これは友人談)という立場が生まれます。自分は無意識のうちに前者の立場を取っていたし、今も前者の方がもっともらしいと思うのですが、二つの立場を対比できるようになると迷いが生まれます。前者から後者に移るには相当の思考と飛躍が必要そうですが……。

これらに決着がつくのは多分、1989年から聞きなおして2017年に辿り着いたときでしょう。

 

最後、上述のように課題が山積みの中、なぜか「流動体について」に乗れるような気がしてきました。これは某氏との議論で理解が深まったのに加え、Mステが大きいでしょう。緊張で声出てねえなと思いつつオザケンを見ていたら、なんか、こう、心が動かされて……。

しこりや違和感はまだ残ってますし、何がどうやって峠を越えたのか自分でも分かりません。でも曲を楽しめるにこしたことはないので、とりあえず良しとします。

 

今回の追記は以上です。また追記したり、別途記事を設けたりするかもしれません。 

 

 

3/1 追記


<神>と<神様>について抜けがありました。「いちごが染まる」からの抜粋です。

 

贔屓をするように余計な草抜く
遅くなった夜も粉雪の朝も
寒くはないかと 藁を木にかける
地の神に祈る 命守り給えと
美しい滝の音のように 葉の摺れる音がする
ひとつの夜毎 春の日が近づく
忍び足音 聞いて

 

2010年時点で既に、「地の神」という形で「神」を使っています。土着的な匂いのする、「大地の精霊」とかと似たような意味での神性。なんでしょうかこれ。

 

あと、「地の神」を加えるなら次も書いておきましょう。『魔法的』の新曲「その時、愛」より。

 

電子回路に隠れた
魔神たちの力を探しだし
そのかけらを見るとき

 

ここら辺になってくると「たち」、魔の神でしかも複数形ですからね。うーん。

 

とにかく、神のヴァリエーションが次第に増えていく傾向が見えました。この観察を元にするわけでもないですが、そろそろ自分なりの「流動体について」決着篇と言えるような記事を書こうと思います。

→3/3 書きました。

c-manifold.hatenablog.com

 

 

 

*1:本当はあるんでしょうけど、「流動体について」が大変なので今は「シンプルに良い」という感想だけで済ませておきたいのです。

*2:<僕>はオザケンにかなり近い存在ととるのが自然でしょう。

*3:2/25 追記:「そもそもサービスを意識して歌詞に過去のオマージュを入れているわけではない」という指摘がありました。もっともらしい意見だと思ったので、ここでご紹介しておきます。

*4:歌詞と異なり、サウンドは複雑さとポップな軽さをうまく両立しているように思います。

*5:今回「並行する世界」で「世界」という語を使ってるからここで使えない、という事情があったりするのでしょうか。

*6:こう言語化すると、<神様>にしても<神>にしても宗教色は少ないように思えます。

*7:オザケンを知っている人は自己責任というか、買う人はどうせ買うでしょという強い気持ちがあり……。